自重乙。

同人でよく使われる、自重、という言葉がある。
その時々によって多様な意味があるが、大抵、何かの権威を挙げて相手の行動を規制するのに使われる言葉である。
そして、この権威とは、二次創作の文脈に限って言えば、閲覧者か「公式」である。

ヲタクは決して均一な集団ではない。
むしろ全くバラバラな嗜好を持った集団である。
ヲタクの世界では、完全に多数派など幻想である。
たいていのヲタクはそれを痛感し、互いに探り合うようにして交流している。

ここに、自重という言葉を多様するユーザーがいる。

彼・彼女らは、絶対的多数派が存在しないことを分かっていないわけではない。
むしろ、幻想を作ろうとするのである。
自重も何もヲタクである時点で皆似たり寄ったりであろうという、当たり前の指摘は通じない。
実際、彼・彼女らと、それ以外の者たちの間に会話が成立することはない。
彼・彼女らは機械である。
内なるマニュアルに書かれた手順に沿って、働きかけ、つまりゴリ押しをすることしか出来ない。
そして彼・彼女らのマニュアルには、「相手を理解するには」という項目が抜け落ちている。

彼・彼女らのマニュアルは全くの赤の他人で画一化・規格化する機会が無いのに関わらず、大部分が一致している。
この世の神秘である。

そのマニュアルの中に、「閲覧者」か「公式」の権威を笠に着ろという項目が存在するらしい。
そのマニュアルの文脈の中では、閲覧者とは常識や規範を現す存在であり、公式とは二次創作における最大の権威である。
彼・彼女らはその二つのうちどちらか或いは両方の代弁者である。

――と「思い込め」という手順がマニュアル内に存在する。

そして彼・彼女らは必ずそれを実践する。

彼・彼女らの謙遜とは、自分はただの崇高なる信者であるということだけである。
大体、どこぞの民族のごとき選民思想を持ち合わせている。
他人には伺い知れない基準により教義と儀式を創造し、異教徒に対して十字軍時代の某教のごとき感情を持ち合わせている。
彼・彼女らは思想に敏感であり、自分の思想を体現したように見える二次創作物を素晴らしいと思う傾向がある。
それ以外の思想に関しては、得てして粗探しに熱心である。

信者とアンチは紙一重という噂が同人界にはあるが、それは太古の昔に拡張しても当てはまりそうである。