自己投影乙。

夢小説のことか、と思われた方もいるかもしれない。
が、今回は、実は同人全体と自己投影が切っても切れない関係だということを語りたい。

腐女子は平均的に言って、自己投影という言葉が嫌いである。そして夢小説が嫌いである。
彼女たちの言い分とは、自分たちが耽溺しているのはキャラ同士の関係であって、そこに自分は居ないといったことである。

ここで彼女たちの言う「自己投影していない」とは「キャラと恋愛しているつもりではない」という意味である。

これは同人における本来の「自己投影」をかすりもしていないと思う。

後出し情報だが、私は夢小説ユーザーである。
ただし、夢小説は単なるオリジナルキャラクターが出てくる小説として捉えている。

また、「二次元キャラと恋愛したつもりになる」とはどういうことか皆目見当もつかず、想像も及ばない。
というか二次元にいるキャラとどうやって恋愛するのか謎である。

従って、腐女子がやたら夢小説pgrするのは全く謎である。

二次キャラを何らかの目的で消費する時点でやっていることはだいたい一緒である。
目的自体に対する非難や否定は、自分に直ぐ様跳ね返ってくる。


――腐女子が自己投影を嫌うのは。
嫌う対象ではなく本人たちの裏に何かあるのだろう、と正直思っている。
強烈な嫌悪は、自分に関する感想と裏返しである。

心理学では、自己投影は投影という心理的働きのひとつとして定義されている。

たとえば、他者投影。
同人的に言えば、気にくわないキャラAが居たとする。その理由とは、現実で自分が嫌いな人物を思わせるところが、キャラAにあったからだった。
つまりキャラAに他者投影していたのである。
そういう場合、キャラAのヘイト作品には、おそらく「自己投影」した他キャラたちが出てくるだろうし、作品世界全体が積極的に自分の思想を正当化するものとなっているはずだ。

ここから、自己投影は他の心理的な働きとセットになる場合があり、願望等に裏打ちされた独自の文脈を持つことがわかる。

――実は、自己投影は私の「地雷」である。
正確に言えば、「文脈によって自己投影の意味内容を理解した」時、地雷が発動する可能性が著しく上昇する。
ただ、いつもいつも他人の願望が気持ち悪くて許せないわけではない。
無視できずに地雷が発動される場合は、きっと自分の側に何かあるであろう。

他人は自分を映す鏡とは全く至言である。